2020年05月16日
仕事場引っ越し
Stay Home期間中だけれど、今月は仕事場の引越しもありそこそこ忙しい日々。
ぼくの仕事部屋を自宅からほど近い場所に移し、ぼくが使っていた部屋は大学生になった息子の部屋に。ゴールデンウィークはほぼ引越し作業で終わった。全部家族で作業したので久しぶりに筋肉痛を味わったけれどなかなかいいものだとか調子のいいことを思った。
インターネットの申し込みを忘れていてあわてて手配したら、コロナの影響で申し込みが増えていて開通がなんと7月になるという。まさかのネット不通かと焦ったが、とりあえずWi-Fiでしのげている。
機材のセッティングも出来てほぼ片付いた。
明日は、近々予定しているレコーディングに向けて高崎さんに楽器調整に行くので、その前にちょっとベースの音をiPhoneで試し撮りしてみた。11proはまだセッティング出来てなくてこれはiPhone7。
曲はCharles Mingusのgoodbye pork pie hat のテーマのみ。
by iidamasaharu : 20:21 | コメント (0)
2020年03月20日
「風邪の効用」野口晴哉
この本で述べられるのは「風邪は治療するものではなく、経過するものである。風邪は人間の身体の弾力性を恢復させる機会となり、風邪をひくと身体が整う。風邪自体が治療行為であるとも言える。」という考え方とそれに基づくさまざまな対処法。病気への見方、捉え方を転換させられる名著と言われる。
ぼくもことあるごとに読み返す。
現在、新型コロナウイルスがパンデミックを起こしている。世界的にはリーマンショック以上(へたをしたら世界大戦並み、というのは大げさか)のダメージが生じる可能性が恐れられており、各国は緊急措置をとっている。
フランスやドイツでのトップのリーダシップを見て、アメリカの議会の機能の強さを見て、日本のそれらとの違いに暗澹たる気持ちになるが、それはちょっと置いておく。
(亡くなった方に、心より哀悼の意を表します。)
風邪の原因となる従来のコロナウイルスと違って新型コロナは致死性のウイルスなので、新型コロナのことをただの風邪だろうと見くびることはおすすめしない。個体レベルでは命に関わることだからだ。
しかし同時に、人類という種全体で見れば、新型コロナも成長の過程で遭遇する風邪のようなものなのかもしれない。最初に上げた野口氏の主張の「風邪」を「新型コロナ」に替えるとこうなる。
「新型コロナウイルスは治療するものではなく、経過するものである。新型コロナウイルスは人間の身体の弾力性を恢復させる機会となり、身体が整う。新型コロナウイルス自体が治療行為であるとも言える。」
世界規模で、経済的にも厳しい局面が予想される。しかし、私たちは新型コロナを早過ぎも遅すぎもしないタイミングでうまく経過させることで、人類という身体の弾力性を恢復させる事が出来るのかもしれない。それはかすかなひとつの希望だ。
by iidamasaharu : 14:30 | コメント (0)
2020年02月16日
矛盾の海へ
Twitterで目にした投稿で素晴らしいと思った文章を紹介したい。
京都造形芸術大学 准教授 竹内万里子さんによる卒業展に寄せられたメッセージだけど、音楽や表現に携わる全ての人にとって力を与えてくれるのではないか。
以下は本文の一部から引用
「何かと実用的な価値がもてはやされ、長期的視野に基づく知的営みや地道な努力がないがしろにされがちな現在の社会において、芸術を志すことは容易な道ではありません。」
「みなさんはすでに、作品を作ることや見ることがどれほど人生を深く豊かなものにするかを知っています。だからこそ矛盾を恐れることなく、その確信を手放さず、どうか生き抜いてほしいと思います。プロかアマかなどということは本質的なことではありません。」
「作品を友として矛盾の海を泳ぐ時、人は決してひとりではありません。」
音楽ももちろん同じだ。
「矛盾の海へ」 竹内万里子
— 赤々舎 / AKAAKA (@AKAAKAsha) February 14, 2020
卒展で、学生へ向けて書かれた言葉ですが、芸術を志す方でなくとも励まされます。 pic.twitter.com/rq1X4oVEge
by iidamasaharu : 14:26 | コメント (0)
2020年01月02日
2020 謹賀新年
明けましておめでとうございます。
年越しは久しぶりのカウントダウンライブ出演で楽しく過ごしました。
2020年代そして50代の始まり。
今年は新たに実現したいことがいくつかあります。
まだまだ道半ば。
忘年会で同級生女子に「写真写りにもっと気をつけろ。特に自撮りはおっさんぽい。」「お腹も出ている。」と指摘されました。おっさんぽいのは実物がその通りなので特に気にしていなかったのですが、お腹はちょっと気になっています。主要成分はポテチであると思われます。
新たに実現したいことがあると書きました。
限られたリソースで新しいことにチャレンジするには「何かをやめる」ことも大事。
いよいよ大好きなポテチをやめるべき時が来たのかもしれません。
今年は脱ポテチ!
・・・あ、いや、ちょっと待ってください、、
友人からの贈り物や宴席などで気遣いで出していただくポテチに手をつけないのは失礼なので、完全にポテチゼロは難しいかもしれません。
今年は減ポテチ!
そして、さっきスマホにランニングのアプリを入れました。
本年が皆様にとっても素晴らしい新たな時代の幕開けの1年となりますように。
本年もどうぞよろしくお願いします。
飯田雅春
*写真は2019年3月 台湾 十份駅にて
(空中の黒点は空飛ぶランタン)
by iidamasaharu : 14:55 | コメント (0)
2019年11月29日
新幹線のネーミング
東海道新幹線のネーミングが好きだ。
速さに応じて「こだま<ひかり<のぞみ」と名付けられていて、これは「音速(空気中で声がつたわる速度)<光速(ひかりの速度)< 念速(?人の思いがつたわる速度)」に対応している。まあ、3つめは今のところ実態の無い話だけれど、そのくらいの夢はあってよいじゃないか。
さて、量子力学で「量子もつれ(量子エンタングルメント)」という状態がある。詳細で正確な解説はぼくにはできないが、簡単にいうと、電子が持つスピンの状態に「上向き」「下向き」の2つがあって、電子にはどういうわけかその2つの状態を同時にとる「重ね合わせ」という状態があり、それは観測されるまで確定しなくて(このあたりは「シュレーディンガーの猫」の話で知られている)、その重ね合わせが2つの粒子でペアになっている状態のこと。(ふー。)
で、「量子もつれ」には、ペアになった片方の粒子の状態が確定(収縮)すると、もう片方の粒子にその状態が瞬時につたわるという性質がある。どれだけ離れた距離にあってもその状態は瞬時に伝わる。つまり「光より速く伝わる何か」は存在するのだ。
新幹線より速い超伝導リニア新幹線のネーミングはこれで決まりだろう。
「もつれ」
by iidamasaharu : 19:49 | コメント (0)
2019年05月11日
コントラバス弦 Eudoxa & Original Flat Chrome (Spirocore)
4月末に弦のセットを変えた。ここ数年オブリガートを中心に下の2本をエヴァにしたりだったが、今は上2本オイドクサ、下はオリジナルフラットクローム。(端の色が紫で同じだけど微妙にストライプの幅が違いますね)
この組み合わせ、今の自分にとても合っている。ちなみにオイドクサは張ってから3〜4日でチューニングが安定した。
オイドクサEudoxaはピラストロ社のガットにシルバー巻きの弦。3年ほど前にオブリガードObligatoに変えるまで長年使ってきた。その時は低音成分がもう少し欲しくてシンセティック弦のObligatoにしたけれど、その後楽器の調整や奏法などが変化してきて、物足りなくなってきてしまった。
年末にライブスケジュールに空きがあった時にToroのプレーンガットを張って弾いていた。やっぱりガットの倍音成分は他に替えがたい魅力がある。あと、以前からPirastroのオリジナルフラットクロムも試してみたかった。で、上2本をシルバー巻きのガットであるオイドクサ、下をオリフラにした。
今のところこの組み合わせはとても良い。オイドクサはちょっと高価なのだけれどオブリガートが3,4ヶ月でへたってしまうことを考えるとコスパも悪くないかも知れない(ことを祈る。)
以上、コントラバス弦の話でした。これは後になって「あの頃どんなセッティングだったっけ?」となった時の自分用のメモでもあります。
コントラバス弦。来週予定しているレコーディングに向けて再考。
下2本のオリジナルフラットクロームを思い切ってスピロコア(ジャズの標準的なスチール弦)に替えてみた。自分の楽器にこの弦を張るのは25年ぶり、いやもっとか。上2本ガット下2本スピロコアはチャーリーヘイデンさんが同様のスタイル(彼のガットはプレーンだったけれど)
今年の夏前からコントラバス弦を下2本スピロコア(スチール弦)にしていたけれど、4本全部オイドクサ(ガット弦シルバー巻)に戻した。
やはり音色の魅力に代え難いものがある。
by iidamasaharu : 23:52 | コメント (0)
2019年01月01日
賀春 2019
明けましておめでとうございます。
画像は(もう)昨年夏に都内某所でふと撮られたスナップ写真ですが、窓に書かれている言葉「Where will your next trip take you ?」が象徴的で気に入っています。きっと宇宙を旅している父からのメッセージです。(^▽^)(cf. 「インターステラー」)
今年はどんな旅が待ち受けていることでしょうか。楽しみです。
皆様の1年が素晴らしい旅となりますように!
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
飯田雅春
by iidamasaharu : 15:04 | コメント (0)
2018年11月23日
49才
昨日49才になりました。
メッセージやコメントをお寄せいただきありがとうございます。
この一年間、新しい出会いや動きがあり、自分なりに進化や深まりも感じられた充実の48才でした。
家族や友人たち、共演者をはじめとして仕事でお世話になっている方々、応援してくださる皆様に心より感謝申し上げます。
40代最後の年、まだまだ新しいことにチャレンジしていきたいと思っています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
今日は阿佐ヶ谷クラヴィーアで葭葉愛子さんとのトリオで演奏しています。お待ちしています〜
11月23日 金祝
阿佐ヶ谷 クラヴィーア
スタート19:00〜/20:30〜
ミュージックチャージ 2500円
葭葉愛子 Piano
今井晴萌 T.Sax
飯田雅春 Bass
by iidamasaharu : 14:46 | コメント (0)
2018年09月18日
Flying Humanoid
フライング ヒューマノイド(Flying Humanoid)をご存じだろうか。
先日、青山ジマジンでの葭葉愛子ピアノトリオ(w/ 飯田雅春bass, 服部正嗣Ds)で初演された新曲。その曲名に使われていて知った。
葭葉愛子トリオでいつも演奏している「へんな曲」という曲がある。ちょっとトリッキーでユーモラスなモチーフがあり、自由度の高い即興が繰り広げられる曲。その続編のような位置づけの曲で、初演としてはまずまずの出来で面白い演奏になったと思う。ちなみに作曲者本人は「まだ未完成」とおっしゃっている。
曲の話はここまでにしておく。今回の本題はそのタイトルである。
「フライング ヒューマノイド」、直訳すると「空飛ぶ人型」。
葭葉さん曰く「世界中あちこちで確認されている」「画像や動画もいろいろある」とのこと。
宇宙の話題には目がない私だが、これは完全にノーマークだった。
Wkipediaにはこうある
「フライング・ヒューマノイド(Flying humanoid)は、UMA(未確認動物)、未確認飛行物体の一種。人間に似た形をしており、皮膚の色は黒またはこげ茶。空中を飛ぶ事が可能である。超常現象の一種とされる。」
「世界中で目撃情報が報告されている。特にメキシコで目撃されることが多い。大きさは3m程と推測されているが、空中に浮かんでいるため、実際の大きさは不明である。形がかなりまとまっておらず、それぞれによって形が違う。大抵、人間のように見えるが、グレイのような形のものも撮影されている。目撃者によると黒いマントを羽織っており、まるで魔女のようだったとも言われている。正体は宇宙人だと考える者もいる。何度か日本のバラエティ番組でも紹介された。」
ふむふむ。
なんかいい感じに怪しいぞ笑。わくわく。もしかしてトンデモ系要素もありかも。
写真を見ると実際には、ジェットスーツ、飛行船、蜃気楼、ホントに宇宙人、など色々なケースが混在しているようだ。
何かご存じであれば教えて欲しい。
「実際に見た」
「実は私がフライングヒューマノイドだ」
などの情報お待ちしています。
次のライブ(12.17@青山ジマジン)までにはもう少し情報収集し、それをふまえて同曲の演奏に望む次第である。
by iidamasaharu : 13:04 | コメント (0)
2018年08月14日
音楽がもたらすもの
先日、ライブでとあるぼくのオリジナル曲を演奏した。
その時、それを聴いたリスナーの方からの感想がとても嬉しくて、ちょっと考えたこともあったので書いておく。
昨年8月6日に開催されるライブがあり、その日のために、自分なりの祈りの曲を作った。
もちろん広島原爆忌を意識したものだ。
歌詞はなく、ゆったりとしたいくつかのモチーフと、抽象的な即興演奏からなる楽曲。
コントラバスの指板と弦の間に木片をはさんでプリペアドにしてスティックで音を出したりもするし、トーナルセンターはEで一定だけれど、長調と短調が混在していて、一般的な感覚では「なんだか不思議な曲」という感じだろうか。
先日のライブでは、MCで曲の説明をすることもなくおもむろに演奏した。
その感想とはこういうものだ。
「祈りの曲だとは聞いたけれど、自分にはカトマンズの風景が浮かんだ。かつて、小さなセスナに乗って上空から見下ろしたその壮大な風景を」
演奏や楽曲をそのように聴いてもらえるのはとても嬉しい。
そのリスナーの方はその曲を通じて、ご自身の内面にある何か鉱脈のようなところにふれたのかもしれない。普段は外面化されない記憶や感情が大切にしまわれている、そんな場所だ。
音楽は時に人をそういったところに連れて行ってくれる。
そしてそこから戻ってきた時には、その前よりはほんの少しだけれど世界がよりよいものになっている。
祈りは通じているのだ。